多趣味の弊害
時を遡ること七、八年。
僕は大学受験に失敗し、職に就いた。(フリーターだったけど)
失敗、したのだけれど、正確に言い訳をさせて頂くと、「大学生活4年間に時間的、また経済的意義」を見出せなかった。
周りの大人たちに、よく
「なんで大学行かなあかんの?」
と聞いて回っていた。なんとひねくれたくそがき。
そこで返ってくる答えは、
就職を有利にするため。
であった。
普通はそれで「ふ〜ん」なのだろうけど、当時の僕は全く納得できなかった。
今の自身の努力が報われるかどうかは、この先四年後にしかわからない、と思うと全く英単語が覚えられなくなり、作者の意図がわからなくなり、本能寺の変も明治維新だって安いフィクションなストーリになってしまい、そして因数分解ができなくなった。
当時の大人たちが語ってくれた、大学に行く理由:番外編
- 何かを極めるため
- 社会に出る前の予行演習
- 執行猶予
- 最後のすねかじり
- うるせー勉強しろ
僕の周りにはなかなか面白い大人たちが今も昔もいます。
そのうちその話も。
フリーター一年目
高校卒業フリーター、なんて言うものを当時の僕は特別な存在だと思っていた。
勇気ある決断をした、とも。
道を外れた、とも。
そして、今思うと本当に愚かなのだが、そんな僕とは違った異様な思いを、それまでの友達に対し抱いていた。
彼らはこれから、大学というグレーゾーンで、うぇいうぇいしながら、打たれる直前の出る杭にならなければならない。
本気でそう思っていた。
僕にかまっている暇はない、そう思っていた。
そこで困るのが、そう休日。
いかにこの孤独を埋めようか。
安易な僕は趣味を求めた。
多趣味の弊害
幸い、それなりの経済力と掃いて捨てるほどの時間があったため、たくさんのことを経験することができた。今の仕事や、妻との出会いなどにも役立ってる、ことを願いたい。
しかし。
人間にはマルチタスキングスキルは備わっていない。
一つの趣味に没頭し、気がづけば埃を被ったものも、手を離れていったものもたくさん。
これではいけないと躍起になって手に取るのだが、そうしたところであいつは埃をかぶったまま。
起死回生、代打満塁逆転サヨナラホームラン、となるか。
ブログというものは、もしかしたら僕のような多趣味の弊害に悩まされる、
一つの道を極めることが出来ない、我慢が出来ない、隣の芝生が青く見えて仕方のない、欲望の権化のような大人になれない大人にはぴったりなのではないか。
思うに、「趣味」というものが満たす欲求とは、
- 知識欲
- 物欲
- 浪費欲
であろう。
何か新しい知識を得ては武装したような心地になり、目の前に確かな「もの」を得ることで目に見えない「安心」に心落ち着かせ、そして金銭を払い、誰かの「ありがとうございました!」に自己を肯定する。
旅行や食べ歩き、自分磨きといった一見「経験型」の趣味であっても、大きく変わらないのではないかと思う。
だがこのブログというものは明らかに性質が異なる。
「ブログ」について詳しくなったところで何も強くはなれそうにもないし、安心を得られそうにもない。
そんなブログは。
そんなブログだからこそ。
他の趣味のスーパーサブに、最強のアシスタントになれはしないだろうか。
得た知識を発信することができる。
手に入れたものを発信することができる。
ひょっとしたら、誰かのためになることを発信することができる。
埃をかぶっていたあいつも、
「発信される」
という役目が追加されることで、また輝きを取り戻す。
なんと素晴らしいものを見つけてしまったのだろう。
そして。また一つ趣味が増えてしまいそうだ。
おわりに
とりとめのない話を垂れ流しにしてしまった。
趣味のお話させてください
それをいうだけに1500文字以上を用してしまった。
まだまだおからを美味しいと思える日は来そうにもありませんが、
どうか覗いてやってください。